ここから法華経を離れて、より具体的に仏教の教え(戒律)を示しています。訪れた皆さんの参考になれば幸いです。
担当:人文学科2年 中野 由衣
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・宝樹(ほうじゅ)
極楽にあるという、金樹・銀樹・瑠璃(るり)樹・玻璃(はり)樹・珊瑚(さんご)樹・瑪瑙(めのう)樹・(しゃこ)樹の七重に並んだ宝樹。
・由旬(ゆじゅん)
仏教の由旬はヒンドゥー教のヨージャナの半分とも言われ、倶舎論の記述などでは普通1由旬を約7kmと解釈する。
・化仏(けぶつ)
仏や菩薩が、衆生を救うため、その機根に応じて現れる仏や菩薩、また明王となった姿を指す。
また、大乗仏教の三身説(法身・報身・応身)の応身を言う
@法身;毘盧遮那仏(華厳経)
宇宙の真理・真如そのもの、仏性(仏に成れる素質)
A報身;阿弥陀如来(無量寿経)
仏性のもつ属性、はたらき。あるいは修行して成仏する姿
B応身;釈迦牟尼仏
この世において悟り、人々の前に現れる釈迦の姿
・宿明通(しゅくみょうつう)
前世を明らかに見通せる力の事
・慧眼(えげん)
仏の五眼(肉眼・天眼・法眼・慧眼・仏眼)の一つ。真理の平等を見ぬく眼の事。
・法水(ほうすい)
仏法が衆生の煩悩(ぼんのう)を洗い清めるのを、水にたとえていう語。
もう早いもので、今日で八十八夜です。と言う事は、後三日で夏ですよね。月日が経つのは何て早いのでしょうか?
それにしても、復興の歩みは鈍いものですね。
今日は、皆さん
お元気でしょうか?GWは何処に行ったのかな?私達は、あいにく雨が降ったので、旅行が中止に成りましたよ。これで二年続けて何処にも
行けなかったですね。
ところで、ブログってどう言う意味か、知っている?→それは、weblogの略称して
ブロブと言ったんだって、では前の話の続きをどうぞ!
由衣; | |
「前漢代、陰陽五行思想と、天と人が陰陽五行によって感応すると言う天人相関思想とを結び合わせて災異思想 が董仲舒によって唱えられたが、後漢代に成ると、なぜ災異説から予兆説と変貌したのですか? 」 | |
鈴音; | |
「そうですね。後漢の当初は新の王莽の様な者を二度と出さない為に、孝行の概念の持つ儒教を普及させたのですが、
ある一方で未来予言に関わる神秘主義思想が流行り、その影響を儒教も受てけて讖緯思想が生まれた。 また、西域諸国から仏教が伝わり、上の者だけがそれを信仰し、明帝の頃には仏教寺院 白馬寺が建てられたとされている。 では、後漢の話に戻りましょう。 75年に明帝が崩御すると、19歳の劉タツが章帝が即位し、その後見人に 馬皇太后が選ばれると、生母の賈貴人と共に 宿弊と成っていた外戚の専権を抑えた。また、章帝は明帝の法治政治に対して儒教の徳目を基盤にした 徳治政治を行なった。 更に司空の牟融を太尉・録尚書事にし、蜀郡太守の第五倫を司空にした。また、牛疫が流行した。西域では焉耆国と亀茲国が西域都護を攻め殺し、北匈奴と 車師国が戊己校尉を包囲した。 76年、酒泉太守の段彭が車師を打破って助け出した。また、二月には武陵のレイ水で蛮族の反乱が、九月には永昌で哀牢夷族の反乱が起きた。 更に、11月には阜陵王の劉延が謀反して阜陵侯に降格された。 77年、伊吾廬の屯兵を取りやめた為に、この地を北匈奴が支配した。 6月、焼当羌が挙兵して漢陽を侵略した為、翌年には馬防よって討伐させた。 78年、竇氏を皇后とし、また、班超が 姑墨国を下すが、武陵で蛮族の反乱が起きた。 79年、太尉の牟融が死去し、劉慶を皇太子とした。また、馬防が罷免した後、皇太后の馬氏が崩御する。 80年、日食が起き、荊と豫に居る兵が武陵の反乱軍を討伐した。更に班超は疏勒国を破った。 また、太傅の趙憙が死去した。 81年、琅邪王の劉京・趙王の劉ク・太尉の鮑cが死去した。翌年、太子の劉慶を廃立して劉肇を皇太子とした。 83年、北匈奴の4万が投降し、帝は東へ巡狩を実行し、陳留、梁国、淮陽、潁陽を巡った。京師と郡国にイナゴが大発生した。 84年、中山王の劉焉が来朝した。済陰王の劉長・沛王の劉輔が死去し、太尉をケ彪から鄭弘へ変え、帝は南へ巡狩した。 翌年、『四分暦』を採用した。また、章帝は東方へ巡狩し 、定陶において自ら耕作を実行し、11月に日南(ベトナム)に至って、初めて關梁を閉じた。 86年、太尉を鄭弘から宋田に変え、司空を第五倫から袁安に変わり、 班超によって疏勒の王が処刑された。更に焼当羌が謀叛し、隴西を侵略した。 87年、東胡の生き残りである鮮卑が北匈奴の左地(東部)に入って北匈奴を大破させ、優留単于を斬り殺した。 また、焼当羌が護羌校尉の劉ウに討たれた。88年、章帝が33歳で崩御した。」 |
ここからは仏説観普賢菩薩行法経です。
すべての方角にある仏国土が平坦で瑠璃で出来ている事を見終わると、次に極楽に生えてる宝樹を見る。宝樹は非常に高くて五千由旬に及んだ。
その樹からは、常に黄金の根や白銀の枝を出し、全体は七つの宝で作れていた。
この部分も、前説の普賢菩薩の行法の続きが書かれている。
E大乗経典を学んで平等に見られる知恵を付けると
→東方の仏国土が見られる様に成る。しかし、諸仏とお釈迦様の姿は見られない。
F次に、象の上に居る普賢菩薩に拝礼し、「どの様な罪が有って見れないか」を尋ねる
→諸仏の姿が見られて、大きな喜びに包まれた。
G更に大乗経典を読んで功徳を積んだ。
→天から声が聞こえて諸仏を見られた訳を教えてくれた。しかし、釈迦牟尼仏・分身諸仏・多宝仏塔は見られない
H更に大乗仏教の修行に精進した
→耆闍崛山でお釈迦様が法華経を大衆に説いてる姿が夢で見られるように成る。
I再び、お釈迦様を見たいと望んで、懺悔して、闍崛山に向かって叫んだ。
→今度はお釈迦様が眉間から光を放ち、分身仏を照らすと、普賢も眉間から光を放ち、
六根を清浄する為の、六法を説く。
以上の事が書かれている。
●翻 訳 四
樹の下に自然と宝の師子座が出現して、高さ二千由旬に及んだ。更に、その座の頭上から百個の宝石が眩い光を放っていた。
それぞれの樹及び宝座はこの様な状態で有った。 一つ一つの宝座、すべてに百種類もの宝石と同じ様な光り輝きが有った。
更に、それぞれの樹及び宝座はこの様な状態でも有った。一つ一つの宝座、すべてに自然と五百頭の白象が生まれ出て、
その象の上に普賢菩薩が座っていたのである。
それを見た瞬間、行者は沢山の普賢に拝礼し、この様に言った。
『我れに、どの様な罪あって、ただ単に宝地・宝座・宝樹を眺めるだけで諸仏の姿を見る事が出来ないのであろうか?』と。
この様に語り終わった時、それぞれ、一つの宝座の上に、一人りの世尊(仏)が現れた。その姿は非常に美しく、細かな所まで整っていて
威厳があった。更に、その仏は宝座の上に座っていたのである。
これらの諸仏を見終えた時、その者の心に大きな喜びが湧き上がり、益々、何度も大乗仏教の経典を声に出して読む事に励んだ。
その為、大乗の力によって、何も無い空から修行者を褒め称える声が聞こえて来たのである。
『善哉(素晴らしい)、善哉(素晴らしい)、善男子よ!。汝は大乗仏教の道を歩もうと決めた善い行い(功徳)の
因縁(原因)によって、隅々まで諸仏見ることが出来たのである。』と言う言葉である。
この様にして、今、俗世の人々から尊敬された諸仏を見る事が出来たが、しかし、未だに釈迦牟尼仏や、釈迦が人々を救う為に化けた様々な仏たち、
及び、多宝仏塔を見る事が出来ないのであった。
行者は空中の声を聞き終わると、再び仏道修行に精進し、大乗経典を声に出して読み始めた。そして、大乗仏教経典の方等経
を読み続けた事により、夢の中で迦牟尼仏と耆闍崛山に集まった色々な大衆の姿を見る事が出来た。
更に釈迦牟尼仏が苦海から解脱する法の法華経を解き明かし、唯一の真実の理法を大勢の前で話す姿を見る事が出来た。
そして、教えを説き終わった時、修行者は犯した罪を認め反省し(懺悔)、深く仏を信じ(渇仰)、再び仏を見たいと望み、
手を合せ、右膝を地に付け、左膝を立ながら、耆闍崛山に向かって叫んだ。
『世の英雄である如来(仏)が、常に現世に居ると言うのならば、我れを哀れに思い(愍念)、我の為に姿を現して下さい。』
この様に行者が語り終わって耆闍崛山を見ると、虹色と同じ七宝の光りに照らされて、数え切れないほどの比丘(出家者)・声聞
・大衆が現れた。
彼らは貴重な大地に居た。それはどこまでも平坦で等しく、貴重な樹が規律正しく並んで生えていて、更に彼らは非常に珍しい
師子座の上に座っていたのである。
また、釈迦牟尼仏が眉間(みけん)から光りを放っていた。その光りは、一つも残す事無く、あらゆ方向の世界を映し出して、
我らが想像すら出来ない数の世界を過ぎると、あらゆ所に居る釈迦牟尼仏の分身諸仏に至る。
すると、しばらくして雲が沸き立つ様に人が集まり、その大勢の前で分身諸仏は妙法華経の様な不思議な法(妙法)
を解き明かしたのである。
また、それぞれの釈迦の分身諸仏は、皆が赤銅色(紫金)の肌を持ち、その大きさは限り無く大きく、師子座の上に座っていた。
更に、思いも付かない数の百億もの偉大な菩薩を従えていた。
その菩薩たち、一人り、一人りが普賢の行をしていた。
先に述べた通り、あらゆる所に居て数え切れないほどの仏や菩薩達に従って居る者たちも、また、この様な様子であった。
大衆が雲の様に集合し終えると、一斉に釈迦牟尼仏の方を見つめた。すると、体をお越している上半身の毛穴から金色の光りを放たれたのである。
それぞれの一筋の光りの中に百億もの化仏(知恵の象徴)
がいた。
沢山の分身仏たちは、仏だけに備わった偉大な身体的特徴で眉間にある白い巻き毛(白毫相)から光りを放った。
やがて、その光りは釈迦牟尼仏の頭上から体の中に入る様子を見た時に、沢山の分身仏たちが全ての毛穴から金色の光を放った。
更に、放った其々の光りの中にも、ガンジス河の砂の数ほどの限りなく小さな化仏(如来三身の応身)
が居たのである。
その時、普賢菩薩も、同じ様に眉間にある偉大な人相から光りを放って行者の心の中を照らす。そして、隅々まで照らし終わると、
修行者は自然に過去の百千とも言われる無数の仏の所で大乗経典を授かり、その経典を声に出して読みたいと、強く念じる様に成った。
更に、自らの力で過去の自分の姿を見つめ直して、物事の起こりを理解し、善悪を見極める事は(了了分明)、前世を見通せる宿明通
と同じで異なる事が無い。
また、更に疑念や迷いが”あっ”と言う間に消え去り、急に視界が開けて、真実に辿り着く事が出来き(豁然大悟)、
それによって、旋陀羅尼(真言を連続して唱える事)や
百千万億と言われる数の陀羅尼門(密教の経典)を得る事が出来た。
そして、三昧より目覚めると、お釈迦様が法を説く為に姿を変えた様々な仏たち(分身諸仏)、全て目の当たりにしたのである。
それは、様々な貴重な樹木の下にある師子の床で座禅を組んでいたのを見たのである。
また、瑠璃の地に咲いた沢山の蓮の花の様に地下から空中に飛出すの(踊出)を見る。一枚一枚の花びらの間に小さな塵と同じ数の菩薩
が結跏趺坐していた。また、普賢の分身である菩薩たちも、この大衆の中に居て大乗仏教を褒め称えながら説いているを見た。
時に、それぞれの菩薩たちが声を揃えて、修行者の六根の汚れ洗い、清め始めた。
もしかすると、この様な言葉を用いたかもしれない。『汝、常に仏を信じよ!』と
もしかすると、この様な言葉を用いたかもしれない。『汝、常に法(存在の意義)とは何かを考えよ!』と
もしかすると、この様な言葉を用いたかもしれない。『汝、常に仲間の僧伽を思え!』と
もしかすると、この様な言葉を用いたかもしれない。『汝、常に戒律に従え!』と
もしかすると、この様な言葉を用いたかもしれない。『汝、常に布施を実践せよ!』と
もしかすると、この様な言葉を用いたかもしれない。『汝、常に天に祈りを捧げよ!』と
先ほど述べた六つの教え(法)が、仏の悟りを求めようとする心であり(菩提心)、真実を求める者(菩薩)を生む為の教えでもある。
よって、今、汝は必ずや、様々な仏たちの面前で、過去に犯し自分の罪を隠さず告白(発露)し、真心をもって罪を悔い改めよ。
想像すら出来ない過去世(無量世)から、目(眼根)と目に見える物に頼って来た因縁により、様々な物を欲しがり、
それに執着して飽きる事が無い(貪著)。
色(物の存在を確認出来るのも→現象)に執着する為、
心に様々な欲望を起こさせる刺激(塵)を無性に欲しがる(貪愛)。
塵(刺激)を愛する為、女の身体を授けられて代々この世に生まれ来る。そして、目の前で起きる様々な現象(色)に捕われて惑う(惑著)。
やがて、色は汝の眼を貫いて、愛情に対して与えられた恩賞(恩愛)の奴隷と成る。その為、色は汝に欲界・色界・無色界の三界を歩ませ、体験させのである。
この弊害を与える使者によって盲目と成り、現実を見ようとしなくなる。
今、大乗仏教の経典の方等経を声に出して読み、その経の中に「あらゆる方角に居る仏たちの肉体(色身)は消滅しない。」と説かれている事を、
汝が目にすると、汝はそれがホントか、ウソか?その事実を詳しく調べるであろう。そして、曲がった目と視覚(眼根)は、
数多く汝を傷付けるであろう。
我の言葉を素直に聞いて、様々な仏たちや釈迦牟尼仏に心を寄せて(帰向)、汝が身に付けて来た眼根の罪咎を取り除く様に唱えよ。
『様々な仏や菩薩たちには、煩悩を洗い流して物事を何にも捕われる事無く、平等に見通せる目(慧眼)
を持つ事が出来る法(法水)がある。叶う事ならば、この法水によって我が穢れを洗除し、我れの六根を清浄て下され!』と。
この様に語り終わると、一人も残す事無くあらゆる方角の仏達に拝礼して釈迦牟尼仏と大乗経典に向かって、再び、この様な言葉を述べた。