仏説観普賢菩薩行法経  

 

  ここから法華経を離れて、より具体的に仏教の教え(戒律)を示しています。訪れた皆さんの参考になれば幸いです。     

   担当:人文学科2年 中野 由衣


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

中国史

中国史地図





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・大士(だいし)
菩薩の別名

・十力(じゅうりょく)
仏と菩薩が人々を救うために使う10種の力の事
@道理・非理を知る力。
A業とその果報との因果関係を知る力。
B禅定や三昧を知る力。
C衆生の能力や性質の優劣を知る力。
D衆生の意欲や望みをあきらかに知る力。
E衆生の本性を知る力。
F衆生の人・天神等の諸世界に趣く行(思想)の因果を知る力。
G自他の過去世のことを思い起す力。
H衆生の未来の生死・善悪の世界を知る力。
I涅槃の境地、及び涅槃に到達するための手段を知る力。

・ 無畏(むい)
仏・菩薩が備えている徳の一。智慧(ちえ)がある為に教えを人に説くとしても自信に満ちあふれ、何者にも怖れない事。

・十八不共法(十八ぶぐほう)
仏にしかない18種類の特質

・三念処(さんねん書)懺悔(さんげ) 仏が示す、衆生に対する三つの態度
@初念処;仏は、衆生が仏を讃える心を喜ぶ。
A二念処;仏を罵ったり・呪ったりする人の心を可哀そうと深く憐れみ、悲しむ。
B三念処:仏は、仏の教えに帰依した人もしない人も、差別しないで平等に見る。

・懺悔(さんげ)
本来はサンスクリット語で「忍」の意味を持つ

・行住坐臥(ぎょうじゅう-ざが)
日常の立ち居振る舞いのこと。転じて、ふだん・常々の意

・三昧(さんまい)
四禅八定を超えた第9の境地で精神集中が深まりきった状態、 詳細は次の通り
@欲界(粗住→細住→欲界住→未到定)
A色界(初禅→二禅→三禅→四禅)
B無色界(空処定→識処定→無有処定→非想非非想処定)
C三昧

・旋陀羅尼(せんだらに)
旋は旋律(メロディ)の事で、呪文に節を付けて唱える事。


---編 集 録---

ブログを書いていたら、いつの間にか年が明けて12年3月に成ってしまった。 恐らく、ブログだけで無くツイッターにも、大夫、時間を費やしてしまいました。

今日は、皆さん
お元気でしょうか?「春眠暁を覚えず」と言われる季節に成りましたね。また、三月は卒業と新たな出会いが交差する季節です。 私たちも、先輩方を見送る謝恩会の事で頭が一杯です。

皆さんに、どんな一芸を持っているか?一度、お尋ねしたい気分です。では、前の話の続きをどうぞ!

由衣;
「後漢から儒教が国教と成って讖緯思想 が重んじられたのですね。」
鈴音;
「そうですね。後漢から儒教が国教として強化されましたよね。では後漢の 光武帝に戻りましょうか

36年に、地方王朝「成」の公孫 述を倒して光武帝が中国を統一すると、 再び漢王朝(後漢)を立てた。そして、統治機構に郡国制を引き、 政治の最高機関医に三公を置き、讖緯思想 を組み込んだ儒教を勧め、学制・礼制を整備した。

29年頃の西域では莎車王の康が匈奴の侵入を防いで居た為、河西大将軍の竇融 が康を漢莎車建功懐徳王・西域大都尉とし、55国を服属させた。

33年、康が死んで弟の賢が王に成ると、拘弥国と西夜国を攻撃して自分の子を其々の王にした。38年、賢は ピチャン国(楼蘭)と後漢に朝貢し、西域と漢は再び国交を結び、 賢はパミール高原から東の諸国を服従した。

41年、莎車王の賢が光武帝に朝貢し、西域都護を置く要求して漢大将軍の印綬を賜わったが、 敦煌太守の裴遵に迫奪され、後漢を恨んで西域諸国を服従し始め、亀茲諸国も襲った。

45年、車師前王国・楼蘭・焉耆 ら、等18国が後漢に西域都護を置くよう懇願したが拒まれ、翌年には莎車が大宛・楼蘭・ 亀茲を攻めた次々と攻略して行った為、車師・楼蘭は匈奴に帰順した。

46年、後漢の上谷・中山当たりに侵入して殺略を行なっていた匈奴の呼都而尸道皐若テイ単于が死去し、左賢王 蒲奴が単于となった。また、この年にイナゴの被害見舞われ て大飢饉に成り、後漢に和親を結ぼうとした。

一方、烏珠留若テイ単于の子のは匈奴の地図を後漢に渡した為、47年に蒲奴は比が謀反を計ったとして攻めたが、比軍に追い返された。48年、比は 後漢の防壁に成って北方蛮族の侵入を防ぐ事を耿国に申し出て帝に許されると 、南匈奴を建てた。

49年、南匈奴が北匈奴の本拠地を攻めイクケン左賢王を捕虜にした。翌年、今度は北匈奴が南匈奴を攻めた為、光武帝は南匈奴の本拠地 を長城内の西河郡に置き、更に使匈奴中郎将の官を設置した。

56年、莎車はホータン王の兪林を驪歸王に更迭し、弟の位侍をホータン王とした。 また、南匈奴の比が崩御して弟の莫が南単于に成った。 57年、光武帝が崩御し、息子の劉荘が 明帝に即位すると、焼当羌が隴西に侵攻した為、竇融の甥の竇固に討伐を命じた。

58年、5月には太傅のトウ禹と東海王の劉彊 が死去し、7月には捕虜将軍の馬武等は焼当羌と戦って勝利した。また、遼東太守の祭ユウが企てを謀って鮮卑烏桓の王を暗殺させた。

59年、明帝は光武帝の宗祀や大射礼を行った。テン吾 事件が発覚して護羌校尉の竇林が明帝に詰問されて獄死した。少府の陰就の子の陰豊が妻のレキ邑公主を殺害して自殺した。

60年、ホータンの将軍の休莫霸が莎車に叛いてホータン王と成った為、莎車王の賢は討伐軍を派遣したが大敗し、 逆に莎車が休莫霸軍に包囲されてしまった。しかし、戦闘中に休莫霸が流矢に当たって戦死した為、一旦、休莫霸軍は撤退した。

その後、国相らは休莫霸の兄の子の広徳をホータン王にして、北匈奴が亀茲諸国と共に莎車を攻撃した際に参加した。 61年、莎車相の且運らがホータンに亡命すると、賢が広徳との戦いに破れ、莎車はホータンに吸収された。

数年後、賢を殺害た事を機に、北匈奴と亀茲がホータンを攻撃し、北匈奴に支配された。65年、南匈奴から離反者が現れると、 北匈奴の侵入に備えて、後漢は度遼将軍を設置して五原曼柏に駐屯させた。そして、北匈奴は西河諸郡を侵攻した。

66年、明帝は郡国に詔を出し、死刑囚の罪一等を免じて五原、朔方に住まわせた。四姓の小侯の為に学校を作り、 『五経』を学ばさせた。

67年、広陵王の劉荊が罪を得て自殺し、国は除かれた。68年の秋、司隸校尉の郭霸が罪に問われ獄死した。 69年、司空の伏恭が罷免され、大司農の牟融が司空となった。益州西部都尉を廃止して永昌郡を置くと、司隸校尉の王康が罪に問われ獄死した。

70年、異母弟の明帝に対して、劉 英が反乱の計画を企てた為、ケイ県に移され、71年の夏に自害した。劉 英が 初めて仏教を重んじて仏教寺院を建立した。この頃の仏教は現世利益を求めていた。

73年、北匈奴の討伐軍を挙兵させた。そして、竇固が天山で呼衍王を破り、伊吾廬城に兵を留め駐屯した。 一方、国内では淮陽王の劉延が陰謀を企てた。

74年、北海王の劉睦・司徒の王敏が死去し、汝南太守の鮑cを司徒にした。後漢は西南夷と西域諸国を従わせると、 竇固・耿秉・劉張らを昆侖に赴かせ、車師を攻め、西域都護、戊己校尉を設置した。

75年、明帝が崩御すると、焉耆、亀茲が西域都護の陳睦を襲撃し、更に北匈奴と車師後王が戊己校尉の耿恭を攻めたが失敗した。」

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◆ 仏説観普賢菩薩行法経

ここからは仏説観普賢菩薩行法経です。
この場面は普賢菩薩の行法の続きが描かれている。

@普賢に従う菩薩たちから褒められた夢を見ると
→普賢が大乗の教えを夢の中で説明してくれる。
A大乗の根本理念を理解しょうとすると
→教えを忘れる事が無く、あらゆ所に仏が居ることを深く心に刻ませる。
B八正道の正念が得られると
→東方の仏たちの姿を見られる
C大乗の空が理解出来ると
→大士(菩薩)の力によって様々な仏の姿がハッキリと見え、仏の徳を身に付けることが出来る
D六根清浄が出来れば
→過去七仏の姿を見ることが出来、釈迦牟尼仏から真実の法を解き明かされる。
などが描かれている。

●翻 訳 三 

その時に
つまり、仏教の修行者が普賢が従える菩薩たちから、賞賛された自分の姿を見終えた時、心に大乗の教えを深く刻み込み、朝に夕に忘れ去らなければ、 その者が夜寝ている時、その者の夢の中に普賢が現れ、その教え(法)を解き明かしてくれるだろう。

夢の中で普賢が告げた教えは真実であり、現実の世界と異なる事が無いのである。更に、その者の心を慰め、安心させる為に述べた。

”もし、汝がこの経を言葉に出して読もうとした時、その経の句や偈(げ)を忘れ去ったなら、 その時、修行者が普賢が説く奥深い教え(法)を聞き、その教えの根本理念を理解して覚えていたなら、それを忘れ去る事が無であろう。

そして、毎日この様に暮らして行く事で、その心は徐々に物事の道理が判って行く様に成る。つまり、この様にして普賢菩薩は、 あらゆるの方向(十方)に居る仏たちの存在をその者の心に深く刻ませる。

普賢の教えに従って、感情に捕われる事無く、心を正して、常に四念処を思い、 現在の自分の在り方や心の様に気付いたならば(正憶)、 徐々にではあるが、心の眼で東方の仏たちの黄金に輝く肌、美しく整った身体、堂々として威厳ある姿を見られるであろう。

そして、一人の仏を見終わると、次に、また一人の仏が現れて、その仏を見るであろう。この様にして、次から次と遍く、 東方に居るあらゆる仏たちと出会うことが出来るだろう。

色々な仏たちを見終わって、その者は心に喜びを生じて、この様に言うだろう。
”大乗の空を理解した事で大士(菩薩)を見る事が出来て、更に大士(菩薩)の力によって色々な仏たちを見る事が出来る。

しかし、様々な仏たちを見る事が出来るからっと言って、はっきりと見える訳ではない。つまり、目を閉じれば見えるが、 目を開けば見え無くなる。”と、

この様に語り終わって、五体(手足と頭)を地に付けて、一人も残す事無くあらゆる方向(十方)の仏に拝礼した。 様々な仏に拝礼し終わり、右膝を地面に付き(胡跪)、手を合わせながら、この様に言った。

”世の人から尊ばれる様々な仏たち(諸仏世尊)、皆が十力 ・無畏・十八不共法・大慈・大悲・三念処などの徳を備えて、 常に世の中のあらゆる物の中で最も尊い姿をしている。我れ、何の罪あってその姿を見る事が出来ないであろうか?”と。

この言葉を語り終わると、更に懺悔をした。そして、懺悔を繰り返しながら、 六根を清浄し終えると、再び普賢菩薩が日々の生活の中に現れて、修行者の傍らから離れないであろう。更に、その者の夢の中にも現れて 常に教えを解くであろう。

それにより、この者は様々な真理を悟り(覚)、安らぎと喜びを感じられる法(ダルマ)を得る事が出来るだろう。この様にして日夜を問わず、 21日が過ぎると、自然と陀羅尼に節を付けて唱えられる様に成るだろう。(旋陀羅尼)

その事で様々な仏や菩薩たちが、真実を知る事が出来る様に数々の言葉を解き明かしてくれて、その不思議な法を記憶(憶持)出来て 忘れ去る事が無いであろう。

また、常に過去の七仏を夢見る様に成るだろう。 しかし、釈迦牟尼仏だけが、その者の為に真理の法を解説し、その他の如来たちは大乗仏教の経典を褒め称えていた。

その時に
修行者は、更に喜びを味わい。万遍にすべての方角にいる仏たちに拝礼する。それが済むと、普賢菩薩がその者の前に姿を現して行動を共にする。

そして、前世から業縁(人の悪い行為や習慣)をすべて教えられ説明された。それにより、隠し続け来た悪い行ない(黒悪)によって生じさせたあらゆる罪 告白させるだろう(発露)。

そして、それぞれの仏たちに向かって自らの口で、自分の犯した罪を告白したならば、告白し終えたとたん、 目の前に数多くの仏たちが見えて来る三昧が得られる(諸仏現前三昧)。

この三昧の境地を得おわって、東方にある妙喜国と アシュク仏を明らかに見る事が出来るだろう。更に、同じ様にあらゆる方向の様々な仏たちと 、その仏たちが住んでいる不思議ほど優れた国土を明らかに目にする事が出来るだろう。

そして、あらゆる方角(十方)に居る仏を見終わった後、また、この様な象の夢を見るだろう。象の頭上には、一人の金剛力士(仁王)が居て、 その者に持っている金剛杵で六根をすべて刺されるだろう。

六根を刺され終わった後、普賢菩薩が修行者の為に六根清浄の懺悔の法を聞かせるであろう。そして、説かれた通りに懺悔する日々が開始られて 三七日目が過ぎた当たりで、様々な仏たちが目前に現れる三昧の力を得られるだろう。

また、普賢菩薩が説いた教えを身に纏う事で、耳も、眼も、鼻も、徐々にではあるが自分の好み以外に関心が向く様に成り、 不思議な法華経の様に多くの人に説明する事が出来る様に成るだろう。

そして、六根をこの法で洗い清め終わると、身も心も喜びに包まれて様々な悪い考え(悪想)を起こさ無く成るであろう。 尚、心の汚れを取り去る法は、相手の能力に応じて、その法が与えられる。

また、更に唱えるべき百千万億辺の陀羅尼を得られて、百千万億もの数えられなほどの仏たちを沢山見る事が出来るであろう。 そして、これら多くの世で最も尊ばれる人々から右手を差し伸べられ、修行者の頭を撫でながら、この様に述べるだろう。

『素晴らしい(善哉)、素晴らしい(善哉)、大乗仏教の道を歩む者、偉大な智慧・福徳・三十二相で心を飾ろう (荘厳)と決意した者、 常に大乗仏教の教えを思い出そうとする者たちである。

昔、我らも真実を知って苦しみから人を救う心(菩提心)を起こした時、我らのすべての者がこの様であったのだ。 汝は真心を持って丁寧に接し(慇懃)、失礼の無い様にしなさい。

我ら、前世で大乗仏教(未来成仏思想)を 修行した御陰で、今世では清らかな心で物事を観察して物事を正しく偏りなく知る知恵を身に付けのである。よって、汝らは、 この世において仏道に励み、決して怠け心を起こしては成らない。

この大乗経典は、仏たちの大切な教えが詰まった蔵であり、現世・前世・来世のあらゆる方向に居る仏たちが最も注目したものである。 三世(現世・前世・来世)の沢山の如来を世に生み出す種と成るものである。

つまり、この経を持って読む者は仏と同じ身で、仏と同じ事をする者である。今、汝らは知るのである。この者は沢山の仏たちが遣わされた使者で有る事。

更に、世間から最も尊ばれる仏たちの衣をまとっている事。真実の法を覚った仏たちの弟子である事などで有る。 また、汝たちは大乗仏教の修行を続け、法の種を絶やしては成らない。その為に、汝らは東方の仏たちをしっかりと見よ。(諦観)』

この様に話終えると、修行者は東方の数え切れ無い数の世界を総て眺めたのである。東方の浄土は手のひらの様に平で、様々な大きさの丘・険しい台地 ・刺のあるイバラが生えた荒野などが無く、瑠璃で出来た土地は道の側らを黄金で区切られていた。また、あらゆる方向に有る世界も、同じであった。



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