仏説観普賢菩薩行法経  

 

  ここから法華経を離れて、より具体的に仏教の教え(戒律)を示しています。訪れた皆さんの参考になれば幸いです。     

   担当:行動心理学2年 塚越 有


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト

仙学研究舎

中国史

中国史地図





語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・般涅槃(はつねはん)
完全な涅槃の意で釈迦の死を意味する。しかし、悟りを開いている為に輪廻する事はない

・境界(きょうかい)
果報として各自が受ける境遇。六根の対象(六境)

・煩悩(ぼんのう)
肉体や心の欲望、他者への怒り、仮の実在への執着

・七支地(しちしじ)
身三口四の悪業の事。身→殺生、偸盗、邪淫;口→妄言(根拠のない話)、綺語、悪口、両舌(二枚舌)。


---編 集 録---

3/11の震災から中々、HPが進まない。私たちもボランティアに参加したり、ツイッターで情報流したりして何かと忙しかったからです。

今日は、皆さん
お元気でしょうか?。もう早いもので梅雨の季節ですね。今年も、二年続いて就職内定率が悪化しています。このままクラブ活動していても 気が気ではありませんんね。では話の続きをどうぞ

有;
「宣帝の孫、成帝の時代ですね。ここから前漢の終わりが始まるのですね。」
鈴音;
「そう言う事に成りますね。前33年に成帝が即位すると、宣帝時代から続いて宦官の勢力 を排除する事に成功したが、再び外戚が勢力を盛り返して横暴を極める時代でもある。特に孝元皇太后の実家・王氏一族が 勢力を伸ばし始める。

前30年、成帝は許嘉の娘の許を皇后にすると、許嘉を解任して 皇太后の兄弟の王鳳に政治を委ねる為、大司馬大将軍領尚書事に封じた。 前29年、洪水のパニックを治めた王商匡衡に代わって丞相となり、成帝は彼を信任した。

前27年、王鳳と王政君の異母弟である王譚・王商・ 王立王根王逢時の5人が列侯に封じられて「5侯」が誕生した。 前25年に匈奴単于が来朝した際には、丞相王商を見て大いに畏れた。また、 康居が子を漢に入侍させて貢献する様に成っていた。

更に、王鳳によりて王商が丞相を辞職し、張禹が丞相に成ったが老病の為、 前20年には辞任し、代わりに薛宣を 丞相に任命した。薛宣が丞相に成ると、一万銭以下の訴訟は府で取り扱わないように成った。

また、年号が鴻嘉に変わると、成帝は張放を連れて城外へ、 お忍びで出掛ける様に成った為に、薛宣と王太が張放を地方に左遷するが、直ぐに呼び戻された。また、身分が低く踊り子の趙 飛燕 を後宮に入れ、妹の趙合徳を昭儀とした。

前18年に許皇后を追い出して、前16年、遂に立皇后が実現した。前15年には、広漢郡の盗賊を鎮圧出来なかった事・太皇太后の葬儀で臨時徴発を 行わ無かった事で薛宣を罷免してテキ方進を丞相にした。

、天変地異が起こるとして、皇帝はテキ方進の政治を叱責して自害を迫った為にテキ方進は自殺した。更に、成帝が急に崩御した為、 妹の趙合徳が自殺に追い込まれ、趙 飛燕は劉康の子、劉欣を哀帝に即位させて皇太后と成った。

しかし、成帝の皇子を殺害が発覚した為に権力は無かった。また、この時代は外戚の王氏と丞相テキ方進ら官人間の政治闘争の為、 地方では小規模ながら叛乱が頻発し、漢朝の統治力の低下が始まった。

前6年、再び光禄大夫と成った朱博師丹に代わり大司空に抜擢された。朱博は 何武が唱えた丞相、大司馬、大司空の三公と州牧を 元に戻す様、哀帝に進言して大司空から御史大夫に戻った。また、師丹と共に傅氏の皇太后に反対した 丞相孔光を罷免した。

更に、王莽の後任に大司馬と成った 傅喜をも罷免した。前5年の10月に、朱博を丞相に任じたが、 傅氏らと図って傅喜の列侯を剥奪しそうとした為に哀帝は朱博、趙玄、傅晏らを処分した。

その後、後任の丞相に平当を指名するが、前4年の1月に病死した為、 王嘉を丞相にしたが、東平王劉雲の謀反当たりから哀帝が 董賢を寵愛した為に王嘉と対立して前2年の傅太后の死に当り、 董賢の加増に抗議した王嘉を自害させた。

その後、董賢は大司馬と成って専横の振舞いを王コウに諌まられた。 前1年、哀帝が崩御すると、哀帝が董賢に授けた璽綬を王莽らが奪い取って中山王を平帝に即位させ、再び王莽が大司馬に成った。

そして、王莽が母衛姫や衛氏一族は長安に入れなかった為に王宇や呂寛らが謀って衛氏らを入朝させると、それを知った王莽が 王宇や呂寛も衛氏と共に殺した。 紀元後4年には娘を皇后にして、翌年には平帝を毒殺した。

その後、劉嬰を皇太子に立て、王莽が摂皇帝と称して皇帝代行と成り、 8年には高祖の霊により禅譲を受けたとして皇帝に即位、国号を新と改めると、劉嬰を定安侯に封じた。 」

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◆ 仏説観普賢菩薩行法経

ここからは仏説観普賢菩薩行法経です。
この『仏説観普賢菩薩行法経』は法華経の結経と呼ぶの対して、『無量義経』を開経と呼ばれる。『仏説観普賢菩薩行法経』には 六根それぞれの業障を懺悔して消滅する方法と、それらの懺悔の行の根本について示されたものである。

『普賢菩薩勧発品』では実践する者が得る功徳・法華経を迫害する者が受ける罪の報いなどが書かれたのに対し、 お釈迦様が去った世で、どの様にすれば欲に塗れて煩悩だらけの者たちに真実の教えに導けるのか?を お釈迦様に三人の偉大な弟子が聞くと、

お釈迦様は普賢菩薩の話を語り始める場面が描かれている。

●翻 訳 一 

私はこの様に聞いています。
ある時、仏(お釈迦様)は毘舎離国(ヴァイシャーリー)にあった 大林精舎(だいりんしょうじゃ)の重閣講堂に身をおいて、 沢山の出家信者たちに向かって、この様に述べた。

”後と三ヶ月で我は完全に悟りの世界(般涅槃)に入り、この娑婆(しゃば)から姿を消す”と、

そして、弟子のアーナンダ(尊者阿難)は、これに答えて組んだ足を解き、おもむろに立ち上がると衣服を整え、 手を合わせて合掌しながら、仏の周りを三度もめぐった。

そして、仏に拝礼し終えると、右膝を地に付け、左膝を立てながら手を合わせ、じっくりと如来の姿を見て、 少しも目を逸らす事が無かった。また、長老の大迦葉 や弥勒菩薩摩訶薩も座禅の席より立ち上がり、手を合わせて拝礼すると仏の顔を見上げた。

その時、三人の大士(菩薩)たちは、口を揃えて同じ事を仏に向かってはっきりと言った。

”世尊よ。真理を悟った者(如来)が去った後の世で、どの様にしたら様々な情を持って生きている者(衆生)に真実を求める心 を目覚めさせて大乗仏教が説いた方等経典を修行させるのであろうか。

また、どうすれば、物事の現象をあるがままに心に留め(正念)、あらゆるもの生じて絶対に変わる事の無い真実の因果関係や報いを考えるのであろうか。 また、どうすれば、この上ない真実を知ろうとする心を捨てずに居られるか。

また、どうすれば、煩悩を断ち切れず、五欲 から離れられずに居る者が様々な情報を集める六根の先入観を洗い清めて、偏見・怒り・傲慢などの多くの罪を完全に取り去ることが出来るだろうか?。

また、常に父母から授けられた清浄な目は五の欲望を追い求めて断ち切れずに居ると言うのに、どうすれば、様々な迷いを誘う物を除外して物をあるがままに見る事が 出来るのだろうか?。”

仏は弟子の阿難に次の様に告げられた。
”明らかに我が話を聞け、明らかに我が話を聞いたならば、この事を正しく心に刻めよ。

その昔、如来は耆闍崛山(ぎじゃくっせん) や他の所で暮らし、あらゆるものに生じている真実を知る事が出来る一本の道を見極めた(分別)のである。

そして、今悟りを開いた所において、仏は思いを巡らし、未来世に生ま来る沢山の生き物(衆生)たちの中で 大乗仏教の比べる事の無い道理にあった教えを実践しょうと望む者や、

普賢菩薩の考え(行)を学んで普賢菩薩の説いた行動(行)を実践しようとする者たちの為、 今この場において我が悟り得た真理の法を明かす。

例えば、普賢菩薩の姿を見る事が出来る方法や、見る事が出来ない者が今まで犯した数の罪を取り除く(除却)方法を、 今、汝たちに細かく解説して判らせるであろう。

阿難よ。
普賢菩薩と言うのは、東方の浄妙国土(不思議なくらい清らかな国)で生まれた菩薩である。また、その国の様子は、すでに 雑華経(華厳経)の中で詳細に示した。今、我はこの経において それらを省いて解説する。

阿難よ。
もし、比丘(びく)・比丘尼(びくに)・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)天神・竜神・八部衆を始めとして、この世に存在する全ての者たちの中で大乗経典を 声を出して読む者、

大乗経典に書かれた戒律を修行する者、大乗仏教の意思”空”を広める者、普賢菩薩の姿を見る事を望む者、 多宝仏がいる塔を見たいと願う者、釈迦牟尼仏及び釈迦が教えを説く時に示した沢山の仏たちを見たいと願う者、

あらゆる物を認識する根幹の六根を洗い清めたいと願う者は、必ずこの観察力を学ぶのである。この観察力によって 得られる能力とは、様々な迷いを生じさせる障害(我欲)を取り除いて、不思議なくらい優れた物を見る事が出来るのである。

ただ、この経典を覚える為に声に出して読むだけで、三昧に入らなくても、心を乱す事無く教えを学んで身に付ける事が出来き、 気持ちや知恵(心心)が、共に大乗の教えから離れずに居られた日、一日目から三七、21日が経った頃、普賢の姿が見られるだろう。

更に、深い障り(我欲)がある者は七七、四十九日が過ぎた当たりで見る事が出来るであろう。また更に、 の深い者は一回の人生を送った後に見る事が出来る。また更に、業の深い者は二回目の人生を送った後に見る事が出来るだろう。

また更に、業の深い者は三回目の人生を送った後に見る事が出来るだろう。これまで述べた様に業の深さの度合いによって、 その報いは同じに成らないのである。それゆえ、人に応じて異なる教えを説くのである。

本来、普賢菩薩はその身の大きさも、その声の大きさも、その姿形も無限で定める事が出来ないのであったが、 この国に来たいと望み、何ものにも捕われない不思議な力を発揮し、身を縮めて小さな姿に成ったのである。

この世の大陸(閻浮提)に暮らす人間たちには、 三つの重い障害(三毒)がある為、智慧 の力により、白象に乗って現れるのである。

その象には六つの牙があり、足にある七つの爪(七支)で大地を踏みしめた。そして、その七つの爪(七支)の下に七の蓮華が生えるのであった。

その象の色や形はと言うと、皮膚が純白であり、しかも白い色を持つ者の中でも上位で、水晶(頗黎)や雪山などと比較する事が出来ない。

象の背の長さは450由旬(ゆじゅん)で、肩の高さは400由旬であった。 六つの牙の端には、各々に沐浴出来る池があり、全部で6つであった。更に、それらの池には十四の蓮華が生えていて、その大きさは 池と全く同じであった(正等)。

その花が一面に咲き乱れた様子は天上界に咲く草花の王の様である。そして、一つ一つの華の上には一人の水晶玉の様に美しい女(玉女)がいた。 顔の血色は良く、頬に紅をさした様に輝いていて天女に勝るとも劣らない様子であった。

そして、自然と手の中に五つのハープが現れた。一つ一つのハープには五百もの楽器が集まり、伴奏していた。 また、鴨(鳧)、雁、オシドリ(鴛鴦)などの鳥が五百羽ほど居り、すべての鳥が様々な宝石を散らした色をし、 華や葉の間から生まれ来た。

更に、象の鼻には1輪の蓮の花がある。その茎を何かに例えて言うならば、赤い真珠を連ねた様であった。その金色の花は、 まだ蕾みで一面に咲き誇っては居なかった。

これらの事を見終わり、更に自分の犯した罪を仲間に打ち明けて、心を改める(懺悔)をするならば、 感情を入れずに物事の本質を見ようとする心境(諦観)に心が到って

大乗とは何かを常に考えても、心が疲れて怠けたり、止めたりしなければ、再び花を見たならば、その花は黄金の花びらを開いて 金色の光を放つだろう。





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