南無妙法蓮華経
-----安 楽 行 品 偏-----

 

  詰まらない世の中を変えたいと望むなら、
  私たちの様な女の子でも、変える事が出来るのです。それは人の役に立とうとする心ですが、
  その心は慈悲喜捨(じひきしゃ)を思うことだそうです。  
  

   担当:人・福学科2年 直江美菜子


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・転輪(てんりん)
本来は車輪をかたどった武器(チャクラム)、そこから平和と繁栄を贈り続ける意味になったと考えられる。

・城邑(じょうおう)
「邑」字は人々が集まって居住する場所を意味する。城壁に囲まれた町の事

・末後(まつご)
最後身の事、この世に生まれて来る最後の姿の事で次世は仏界に生まれ仏と成る事が約束されている。 つまり、苦界からの解脱を意味し、人を救う為に命を投げ出す人を指す。

・卑賤(ひせん)
身分や地位が低く、いやしい

・醜陋(しゅうろう)
容貌のみにくくいやしい

・能(あ)わじ
否定形;〜することがない

・正覚
世界の真実を知る知恵の事で、人は皆、同じ体の構造を持ちながら差別をするのかと言う事

・善男子
将来、如来の使いとなる人の事

・百福の相
三十二相の一相を百福と言う。例えば、医者がいて、その医者が一つの病気を完全に治す事が出来たら 人種に関係なく病気を治せるので、一福とする。

・無漏(むろ)⇔有漏(うろ)
漏とは煩悩の事。無漏とは煩悩が消え去り、 迷いや欲望が無い為、徳を失う事が無い事を意味する。

・陀羅尼(だらに)
サンスクリット語のダラニを漢和して、総持を指す。
総持とは
1.よくすべてのことをおさめ保って忘れない力
2.万善万行を欠けることなく円かにそなえた名号のこと
3.智慧のこと
また、中にはダラニを「名号」と漢和した事から祈願を指し、阿弥陀の四十八願の事ではないかとする説がある。


---編 集 録---

”唇に君が残した恋跡は秋深まりて頬を染め行く”
この短歌ドラマを見て、こう言う恋がして見たと思って詠んだ歌。 現実は厳しく、味気ないものです。せめて、短歌で詠むしかないのです。

今日は、皆さん
お元気ですか?今年は例年より早く、約30年振りに雪が11月中に降ったらしいですね。インフルエンザの予防は 大丈夫ですか。さて、私たちですが文化祭の後かたずけや来年の目標を決めるのに大変でした。

それより、この不況で就職の方が不安なのですが、何とか成るでしょう。と言う事で前回の続きをどうぞ
美夏;
「なるほどネ〜、では、まとめをお願いします。」
鈴音;
「一言で言うのは難しいのですが、あえて言うとユダヤ教は規律を唱え、キリスト教では規律より精神を唱え、イスラム教では権利と義務を 唱え、仏教では無我を唱え、儒教では道徳を唱えたと言えるでしょう。」
美夏;
「どうして、そう言えるのでしょうか?」
鈴音;
「ユダヤ教は、元々、エジプトのアマルナ宗教改革から誕生したものと考えられています。それまで アラブ人たちは多神教であったのです。一神教になった訳はアラブ人たちはエジプトの捕虜となって 定住する所が無くなり、一族を証明するものが無くなった事から起こったと考えられています。

キリスト教では、ナザレのイエスが『不倫の子』と呼ばれた不幸な境遇から戒律遵守より、人を愛する 事の大切さ(寛容)を説いたと考えられています。

そして、イスラム教ではムハンマドが商人の子に生まれ、幼くして両親を無くして祖父や伯父に育てられ、 25歳の時、15才離れた未亡人と結婚し、2男4女をもうけるが、男子は2人とも成人せずに死ぬ。

すると、ムハンマドはヒラー山の洞窟で瞑想にふけり、権利と義務のもと、人は皆、平等である事 を説いたと考えられています。

イスラム教はユダヤ教やキリスト教を根源とされていますが、ムハンマドは文字が読めない為、聖書や新約聖書 などの教典を直に読むことは無く、人から聞いた様々な教え(ユダヤ教、仏教、拝火教、キリスト教、マニ教) を自分なり、まとめ挙げたものと思われます。

実際、ユダヤ教やキリスト教では商売で利益を得ることは許されていないし、また、大きな利益を得た者が 貧しい者に分け与える事は仏教の布施に由来し、瞑想や断食はもともとはインダス文明からのヨーガで、 天使と悪魔の考え方も、ペルシャ(イラン)時代の国教の拝火教やマニ教を取り入れたものです。」
美夏;
「なるほど、どんな宗教も神の啓示を受けて誕生したものは無いのですね!。」
鈴音;
「そうです。もともと神はいないし、聖書も人が創造して書いた為に恐竜が居た事も、滅んだ訳も書いてないのです。 そうした事から、古代ギリシャでは神秘的な神話に依らず、人の知識から物事を合理的に考える哲学が誕生したのです。」

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◆安 楽 行 品(あんらくぎょうほん)

ここからは安 楽 行 品(あんらくぎょうほん)です。
この場面は、偈(げ)の部分で安楽行の四法を行なう意味と目的が書かれている。

1.お釈迦さまが死んだ後、この法華経を読んだ者に対する義務
2.布教に当たっての注意
3.義務を果たした者に対しての報酬
これで、安楽行はです。次回は従地涌出品(じゅんじゆうしゅつほん)です。

------終わり

●翻 訳 四

その時に、
世尊は再び、この意味を述べようと望んで歌(偈;げ)を用いて分かり易く言った。

”常に、苦境に立たされても、耐え忍ぶ忍辱(にんにく)の修行を行い、すべてのものに対して 哀れみを感じられるならば、仏が褒め称えた所の経を大勢の人に説いて聞かせよ。

我が去った後の世のおいて、人の心から我が教えが忘れ去った時(末世)に、この経を持つた者は、 在家信者であれ、出家信者であれ、その者が菩薩で無くても、必ずや慈悲が生じるであろう。

しかし、この様な者たち、すなわち、この経を聞いた事も、信じた事もない者は大いに徳を 失しなった者である。

我は仏道を得た時から、色々な方便を用いながら、人の為にこの法を説いて、その法の中に 住まわせ様としたのである。

譬えば、インド全土を治められる力がある転輪王が戦(いくさ)で手柄(功)を起てた兵士に、 様々な物、象や、馬や、車や、勲章、及び田畑や、家や、集落や、町(城邑)などの ほうびを与えるか。

あるいは衣服、様々な種類の珍しい宝、下男と下女(奴婢;どひ)、金銀(財物)などを与え しかも、喜びながらこれらを与える。

仮に、勇敢であって、しかも、体が丈夫であり、良く、あらゆる困難を乗越える事が出来たならば、 王の髪の中に隠し持った輝く珠を、王自から髪を解き、この珠を部下に与えたのと同じ様に、 如来も、また、同じ事をするのである。

如来は、この世に存在するあらゆるもの(諸法)の王であり、忍辱(にんにく)と 言う大きな力や智慧と言う宝の蔵を持っている。

そして、大慈悲を用いて、あらゆるものが存在(法)し、生きていける様に 世間を教え導きながら変えて行くのである。

すべての人の様々な苦悩を受けて解脱を願い求め、多くの魔と戦うのを見て、 この衆生の為に様々な種類の真実() を示して、広く方便を述べながら、この数々の仏の言葉(諸経)を人に分かり易く聞かせるのである。

しかし、すでに苦界である三界を輪廻する人々(衆生)は苦界から抜け出す力を現世において、 学び尽くす事が出来ないの(得已んぬ)を知り、この世に生まれ出るのが最後の身に成った時(末後)に この法華経を説く事は、王の髪を解いて、中の明珠を与えるのと同じなのである。

この経は尊い物で、数々の教えの中においても、最上な物であり、我は常にこれを守る為、 無闇に法華経の中身を明らかに示す事は無かったのである。

今、我はこれを紐解く時が来たのを確信し、汝らが為にこれを説き明かす。 我が入滅(滅度)した後に仏道を求め様と願う者が何事も無く、この経を大勢の人に聞かそう として話をしたければ、この様な四法を守る事である。

この経を読む者は、常に憂いる事や悩む事が無く、又病む事や痛む事も無く、 更に顔色が蒼白に成る事が無いのである。

その為、貧困して、姿が醜く卑しい者に生れ変わらない様に願う衆生がこの者を見ようとする姿は 智慧と徳ある聖人を慕うかの様である。

天に居る諸の菩薩(童子)が使わされた使いの者であると思い、刀や杖で殴りかかる者もいなければ、 毒舌を吐いて、妨げようとする者も居ない。

もし、人が憎んで罵れば、その口をすぐに封じる。各地を巡り、歩いて教えを伝えるのに恐れを抱くことは 無く、まるでライオンの王(如来)の様であり、その者の智慧の光明は日が照らす日光の様であった。

もし、夢を見るとしたら、とても不思議な夢を見るだろう。夢の中で、諸の如来が師子座(王者の座)に座って 諸の比丘衆に囲まれ、説法をされている姿を見る。

また、龍神(蛇を神格化したもの)阿修羅(あしゅら)が ガンジス川の砂と同じ数だけ居て、皆が謹んで敬いながら手を合わせている様子を自分の目で確認して、その上更に、 その者たちの為に法を説く姿を見る。

また、諸仏の肌の色は金色をしていて、無量の光を放ち、あらゆる所を照らし、清浄な音色の声を以って、 あらゆるものの存在する訳(諸法)を多くの人に聞かせる。

更に仏は四衆 の為に、無上の法を説いて下さる仏の姿を見た時、その中に自分が居て、手を合わせながら仏をほめたたえ、 法を聞いては歓喜し、供養する。

そして、呪文陀羅尼;ダラニ) を得て、不退の智(無我)を悟る(證す)。仏はその心が深く仏道に入る事を知り尽し、そして、 究極に正しい悟り(最正覚)を成就する事を予言(授記)する。

汝(なんじ)、善男子(ぜんなんし;未来の菩薩の意)よ。
必ずや、来世において、思いも及ばない智慧(無量智)を持った仏が歩んだ勝れた道(大道)を得て、 国土を清らかで美しく(厳浄)するだろう。それは非常に広大で、比べる事など出来ない。

また、四衆が有って、手を合わせて「必ず、教え(法)を聞きます」と言う者を見る。 更に、自分自身、山林の中に身を置きながら、煩悩を取り除く善法 を学んで修(修習)め、多くの真実の姿(実相)を悟る。

深く禅定に入り、あらゆる所の仏(十方の仏)をお見受けしょうと思って、見ると諸仏の身は金色に輝き、 百福と言う功徳を身に付けた姿をしていた。そして、法を聞いては人の為にこの法を説いていたのである。

常にこの様な好き夢を見る事を願い。また、夢を見る。
国王に成って、宮殿や親類・縁者及び贅の限りを尽くした五欲を捨てて、道場に行き、菩提樹の下にあると言う 師子座(勝利者の座)に座り、道を求め、七日を過ぎたあたりで諸仏の智を得る。

無上道を悟り終えると、座を立って法輪(四諦・八正道) を転がし、四衆の為に教えを説く。

そして、千万億劫の時が過ぎ去り、無漏の勝れた教え(妙法)を説いて、数えられない衆生を悟りの世界に渡し、 更に涅槃に入らせる姿は煙が出し尽くして、かがり火が消え去るのと同じである。

もし、後の悪世の中で、この第一の法を人に聞かせたならば、この人が得られる大きな利益は 先に述べた沢山の功徳である。




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