南無妙法蓮華経
-----安 楽 行 品 偏-----

 

  詰まらない世の中を変えたいと望むなら、
  私たちの様な女の子でも、変える事が出来るのです。それは人の役に立とうとする心ですが、
  その心は慈悲喜捨(じひきしゃ)を思うことだそうです。  
  

   担当:人・福学科2年 直江美菜子


参 照


見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ

下記のホームページに全訳が掲載しています。




フリー百科事典
『ウィキペディア』
法華経


参考サイト







語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!


・正に〜すべし
必ず、〜せよ。

・於いて
〜に関して、〜に対して

・如来⇔菩薩
如来とはお釈迦様では無く、毎日起きている現象の事を意味する。その現象が起きる理由を探すのが菩薩。 つまり、如来は果で、菩薩は因縁を意味したものである。




---編 集 録---

”秋の夜に ひとり寂しく 文字を打つ 見知らぬ君に 恋を送信”

この歌は学校の帰り道、雨が降る出して来たので、マックにより、暫く雨宿りをしている時、 後輩がカチャ、カチャ、携帯をいじっているのを見つけ、尋ねたら、短歌を打っていたと答えたので、 携帯を覗いたところ、この短歌が書かれていた。

今日は、皆さん
相変わらず、元気でしょうか?。私たちはリーマンショックで大変でした。

えっ!どうしてかって?私たち、学生にとっても、深く関係が有りますよ。来年の就職活動ですよ。 このままの状態が続くと倒産件数は過去最悪だそうです。

テレビによく出る経済ジャーナリスト森永キヤラメルが言うには年商300万以下の人が日本人の40%に達し、 自殺者は例年の3、4倍になり、倒産件数は推定1万件から3万件に増え、 非正規雇用が三人に一人の割合になるとの予想です。

まぁ、詳しい事はニュースを見て下さいネ。そう言う事ですから、前回の話の続きをどうぞ!
美夏;
「鈴音さん、結局、砂漠の一神教はどうなっているのでしょうか?」
鈴音;
「焦ってはいけません!。昔から、焦る乞食はもらいが少ないと 言うではありませんか?

なぜ、イスラム教が発展したかと言うと、その独特な世界観があります。イスラムの思想は 人は罪の誘惑にも弱いが、また逆に善行を積むこともできるというのがイスラムの人間観です。

イスラムでは来世を信じ最後の審判によって個々人の罪に応じた審判が下されると信じており、 だから、こそ現世でひたすら宗教的義務を果たすべきだという姿勢(六信五行)が生まれて来たのです。

また、教典「コーラン」には六信五行以外に、ユダヤ教の指導者たちを預言者とし、旧約聖書の事跡を ムハンマドなりに解釈したものである事や、ムハンマドはナザレのイエスを使徒で、預言者である事が 記されていますが、キリスト教の三位一体を強く否定し、争う事 (十字軍)になったのです

イスラム教の一番の特徴は商人を認めた事ですね。どの宗教も、汗を流さず物を右から左に動かすだけで、莫大な利益を 貪る商人を非難していたのですが、ムハンマドは契約に基づいて商売するなら、これを許したのです。

このため、商人は莫大な利益を得ると共に、貧困な人の為に無料のアパート、公衆トイレ、浴場、モスクなどが 提供され、世界初の大学や病院やバザール(公証市場)まで作られたのです。

そして、意外な事に税を払えば宗教の自由を認めた。また、神の下、人は平等であるとして、 キリスト教の様な牧師や神父、または仏教で言う坊主の存在を認めなかった。

ムハンマドはアブラハムは最初のアラブ人で、イエスを含む他の予言者たちに啓示された 宗教の完成した形がイスラームであるとアラブ人は信じさせ、個々の部族に分かれていた アラブ民族を統一し、聖戦と言う名の下に領土を拡大して行くのです。

そして、ムハンマドが死んだ後、残された信者たちは選挙で自分たちの中から指導者を選ぶことになり、 選ばれた者を「カリフ」と呼び、イスラム共同体を指導する時代(正統カリフ時代)が到来する。

このアラブ帝国時代にはイスラム勢力はササン朝ペルシアを破り、東ローマからもシリア、エジプトを奪還しました。 661年になり、第4代正統カリフ「アリー」の頃、イスラム共同体は名ばかりとなって、支配権と莫大な富を めぐり、カリフを力尽くで奪うように成り、ムアーウィヤ(シリア総督)によりウマイヤ朝が建てられた。

そして、イスラム勢力は東は中央アジアからパミール高原、西は北アフリカ沿岸を西進して、ジブラルタル海峡を渡り、 半島までを支配下に置いた。さらに、ピレネー山脈をこえて現在のフランスにまで進撃します。

続く、

次ページへ

◆安 楽 行 品(あんらくぎょうほん)

ここからは安 楽 行 品(あんらくぎょうほん)です。
この場面は第二の安楽行(第二の親近處)と第三の安楽行が描かれている。各安楽行の文章の最初は 文殊師利への問い掛けから始まって、大まかに全体を述べた後、偈(げ)で詳細を述べる形式をとっています。

第二の親近處は実相について書かれている。それは私たちが実感している世界は常に変化し続けているもの の一コマを見て実感しているに過ぎないのに、それを変わらないものと感じるのは 物欲に捕らわれて理に暗い為であると言う事です。

また、第三の安楽行では、言葉使いや心の持ち方について書かれています。この事は現在の私たちにも、 当てはまりますので、覚えておいても損はないと思います。

------続く

●翻 訳 二

また再び、すべての事に順位を付けて見比べる事(上中下の法)をしてはいけない。

更に、この世のあらゆる現象はさまざまの因縁によって生じるが、すぐに生滅して永続しないものであり(有為)、また、その様な因果に関係無く、 絶対に変わらない世界が存在する事(無為)などを、これは真実の法であるとか、不実の法であると論じてはならない。

また、あらゆる物事の本質を得ないまま、その本質を知らず、また見ずに、これは男の領分であるとか、 これは女の領分であると判断してはいけない。これらを名付けて、菩薩の行処(ぎょうしょ)とする。

人が五官で感じられる現象(諸法)が幻の様に実体が無い物(空)であり、その現象を自分だけの物にする事は出来ないし、 常に同じ状態を保ち続けられる事も無い、また、現象は勝手に起きたり、滅したりしない。 これを智者が心得なければ成らない親近処(しんごんしょ)と名付ける。

理に暗く、考えが逆さになっている(顛倒)為に、 人が認識するあらゆるもの(現象=諸法)は、不変なもので有るとか、無いとか、また、これらのものは真の姿であるとか、 仮の姿であるとか、更に、これらのものによって、何かを生じさせるとか、させないとかを考えるのである。

よって、静かな所に身を置いて、心を静めて瞑想しては一つの所に安住して動かぬ事、須弥山の様に成るのです。

あらゆる現象を有りのまま見て悟り得たものは、それらの現象、すべてが持ち続ける事が出来ないものであり、何も無い空間(虚空)の様な物であって、 絶対に壊す事が出来ない物である事が無いのである。

自ら生まれる事も無ければ、去る事も無い(不生不出)。また、自ら動く事も無ければ、失う事も無い(不動不退)。 永遠に存在するものは、この一法(一相)だけである。これを近処(近ずくべき範囲)と名づける。

もし、我が入滅した後の世に、この行処及び親近処を守って修行する比丘がいて、この仏の言葉を説く時 は臆病になってはいけない。

菩薩が有る時に洞窟の様な静かな室内に入って、物事を正しく見聞きしながら、心の中に固く思い抱いたもの(正憶念)を 理(義)と照らし、世間の有り様(法)を心の奥底で観察する。

そして、禅定(瞑想)より起きて、沢山の国の王や、王子や、大臣や、国民や、婆羅門(バラモンの僧侶)らの為に 新たな悟りを開かせようと演説するため、この仏の言葉(経典)を説こうとするならば、心を落ち着かせ、気楽にし、 決して憶病になら無い事である。

文殊師利よ。
初めの教え(安楽行の第一の教え)を守り、後の世において、良く法華経を説いたならば、その者を菩薩と名づける。”

また、文殊師利よ。
如来の滅度した後の世、仏の教えが有るにも関らず、僧侶たちは戒律を守らず、争いばかりを起こして、自ら説いた邪法がはびこる世(末法)に於いて、 この経を説く事を望むなら、必ず安楽行を守るのです。

もし、口で述べて解き明かす時、或いは経を読んだ時、楽をしょうとして、人及び経典の欠点を説いてはいけない。 また、沢山の異教徒の法師を馬鹿にして笑ってはいけない(軽慢)。

声聞の者たちはやたらに、他人の好む事・嫌がる事・長所・短所を説いてはいけない。 また、名前をあげて、その人の過ちや悪口を説いてはいけない。また、名前をあげて、 その人の美しさを誉めてはいけない。また更に、嫌いな者を憎む心を起こしてはならない(怨嫌)。

十分注意して、この様に安楽の心を修行すれば、人から色々な話を聞いたとしても、その話をした人の意見に、むやみやたら、逆らう事が無くなる。 もし、難しい質問をされたならば、法(理)だけでこの世が成り立っているとする小乗の法をもって答えてはいけない。

ただただ、大乗の教えを以って、人の為に解説して、この世は空であり、すべてのものが平等で区別する事が 出来ない事を知りながら、人が認識した様々なものを種類ごとに区別して、見極める 一切種智を得さしめるのだ。

その時に、世尊は再びこの意味を伝えようと望み、偈(げ)を説いて述べたのです。

”菩薩は常に喜んで、ゆったりした気持ちに成り、法を説くのである。例えば、ちりにまみれた体を洗い清めて、 油を体塗り、新しい清らかな衣服を着て心身共に浄くして、清浄の地(何も無い平地)に、足の付いた四角い台 を置いただけの法座にゆったりと坐りながら、質問に従って説くのである。

もし、比丘(僧侶)や、比丘尼(尼)や、諸の優婆塞(在家信士)や、優婆夷(在家信女)や、国王や、 王子や、家臣や、兵士や、平民などが居たならば、一言では言い表わせないほど細かくて複雑な理を、 顔を和らげて、この者たちの為に説くのである。

もし、難しい質問する者が居たならば、道理にしたがって答えよ。 物事が生じる直接の訳である因と、それを助ける間接の条件である縁や例え話などを用いて、 一つ、また一つと丁寧に話を進めて、その意味を広く説きながら、相手の状態を判断せよ。

この方便によって、皆の心に菩提心を起こさせ、徐々に功徳を積ませながら仏道に入らせよ。 めんどくさがる気持ち(嬾惰;らんだ)や怠けようとする想い(懈怠)を取り除き、色々な悲しみ(憂)や悩みを離れ、 情け深い心をもって法を説くのである。

昼夜に関らず、常に無上道の教を説きながら、色々な事の起こり(因縁)や数えられないくらいの例え話(比喩)をもって、 衆生に教え悟し、一人残らず喜ばせよ。そして、着物や、寝具や、飲食や、医薬などの対価を望む事なかれ。

ただ、一心に仏が教えを説いた時に聞かされた因縁の事を思い、仏道を歩み出して、そして、衆生にも、 また同様にさせることを願うのである。これが、すなわち大きな利益であり、安楽の供養である。

我がこの世を去った(滅度)後に、もし、比丘が居て、良く、この妙法華経を演説したとすれば、 心に嫉妬や、瞋恚(怒り・憎しみ・怨み)や、 様々な悩みや、こだわりを持つ事が無く、また、嘆き悲しむ事や、人からバカにされる事も無い。

また、怖畏されて、 刀や杖で殴られる事が無く、また、悪口を言われて、相手にされない事(擯出)が無くなる。

感情に流されず、常に自分を抑える事が出来る為に真理を知った者(智者)はこの様に成る。

もし、正しくその心を直したならば、常に安楽な境地に住む事が出来き、我が先ほど説いた様になり、 その人の功徳は千万億と言う永い年月を経た後、数や物に例えて話をしても、話し尽くせないほどである。

また、文殊師利・菩薩・摩訶薩よ。
後の世で、道義が衰え乱れた世(末世)なり、仏の教えが消え去ろうとする時に、この経典の教えを 忘れない様にと、声に出してお経を読む者は、人に嫉妬したり、こびたりする(諂誑)事をしてはいけない。

また、仏道を学する者を軽蔑(軽罵;きょうめい))し、その長所・短所を探そうとしてもいけない。

もし、比丘(びく)、比丘尼(びくに)、優婆塞(うばい)、優婆夷(うばそく)の中で、声聞(小乗徒)を求める者、 辟支仏を求める者、菩薩の道(六波羅蜜)を求める者などが居たとしたら、

そう言う者たちを悩まし、後悔(疑悔;きげ)させようと思い、その者に自ら語りかけて”お前たちはが悟りを得て修行道から去る事など、果てしなく遠い。

最後まで、この世は平等で、無差別にも関らず、あらゆる物が特徴をもって存在しなければならない事を見極められる一切種智を得る事など出来ない。”

”なぜなら、お前たちは言葉が乱暴な上に、態度も粗暴で生活や身なりがだらしない(放逸)者であり、それは修行道を怠けている証拠であるからだ。”と言ってはいけない。

また更に、決して、人が感じ取った色々なもの(諸法)を無意味で、何の根拠も持たない考えを論じて、言い争う機会を得てはいけない。

必ず、ただ息をしているすべてのもの(衆生=凡夫)に対しては、大悲の想いを起し、様々な環境に対応して存在しているもの(如来=岩・水・木・草・体など)対しては、子を思う優しい父親の想いを起し、 様々な真理を悟り求めるもの(菩薩)に対しては、大師の想いを起すのである。

十方に住む諸の大菩薩(道理)に対して、常に心の底から謹しんで敬い、手を合わせて、すべての衆生に対して 、平等に真理(法)を説くのである。

法に従がう為に、多くても、少くても、だめである。 増して、深く法を愛する者だけらと言って、多くの事を説いてはいけない。

文殊師利よ。
これら菩薩・摩訶薩たちが、後の末世のおいて、仏の教えが消え去ったと思った時に、 この第三の安楽行を成し遂げようと決心した者がこの法を説く時、思い悩んで心が乱れることは無い。

好き同学の者と共に、この経を声に出して、共に唱る事を得られる。また大勢の人が聴に来き、 聴き終ってから、その教えを心に刻み、刻み終わって、忘れ去ること無い様にとそらで唱え、 そらで唱え終って、これを説き、説き終って、この経を書く。

または人にも書かせて経巻を供養することで、人から謹み敬われたり、尊重されたり、賞賛されたりする事が得られる。




前項へ次項へ