詰まらない世の中を変えたいと望むなら、
私たちの様な女の子でも、変える事が出来るのです。それは人の役に立とうとする心ですが、
その心は慈悲喜捨(じひきしゃ)を思うことだそうです。
担当:人・福学科2年 直江美菜子
見ずらいサイトで、
ごめんネ!(´ДÅ)ょゎょゎ
下記のホームページに全訳が掲載しています。
語句の説明
・グーグル辞書で調べる事が出来るようしてある。
・特殊な語句は分かる範囲で、説明する。
( ゚д゚)ノ ョロ!!
・法王子
法王(仏)の子の意で、仏の教化をたすける最上首の菩薩を指していう
・菩薩摩訶薩(ぼさつ・まかさつ)
菩薩は「覚りを求める衆生」であり、摩訶薩は「偉大な衆生」である。
・忍辱(にんにく)
忍辱とは我慢することではありません。不幸な境遇に合っても、それは新たな修行を得たと
思って、受け入れること
・卒暴(そっぼう)
急に荒々しい態度を取る事
・路伽耶陀(ろかやだ)
何事にも人の言うなりになる主義の人
・逆路伽耶陀(ぎゃくろかやだ)
逆に何事にも反対意見を言わなければ納まらない一言居士
・五種不男(ごしょふなん)
通常の性欲も、生殖能力も無い者
1.生不男
生まれ付いて男根が発達しない者
2.健不男
刀で男根を切られた者
3.妬不男
他の性交を見て嫉妬して男根を勃起させる者
4.変不男
男でも、女でも性交することが出来る者
5.半月不男
半月しか男根が勃起しない者
”傘の中 寄り添い歩く 影ありて 道をゆずらん 秋の長雨”
クラブの帰り、四五人で傘を差しながら、道いっぱいに広がり歩いていた時、
ひとりの後輩が道を急いでいる親子に気付いて、道を譲った時に詠んだ歌。
今日は、皆さん
もう、神無月ですね。一年で最も過ごし易い季節を迎えた私たちは、京都への旅を計画しています。
京都と言えば、やはり神社・仏閣です。
仏教を学ぶ者にとっては一度ぐらいは訪れなければならない場所ではないでしょうか。?
それに、聖徳太子がなぜ、政治に仏教を取り入れようとしたのかも、調べて見たいことですし、
そう言う事で、京都への旅を計画中です。では、前回の話しの続きをどうぞ!
美夏;
「どうして、同じ神様なのに教えが違うのだろうか?」
鈴音;
「その事はもう少し先に置いときましょう。ではキリスト教に戻ります。
イエス・キリストの死後、その復活を目撃したとされる使徒の下に集った共同体がキリスト教の始まりだと聞いています。
当初、彼らは禁欲主義の下に財産を共有して生活をする一種の修道的な教団(エルサレム教会)であって、
布教活動はしなかったのですが、ユダヤ教主流派から迫害を受けていたヘレニストにより教団(アンティオキア教会)
が設立されて、多くのユダヤ人のみならず異邦人の改宗者が現れたのです。
そして、二つの教団が対立したのですがイエスの兄弟ヤコブによって、妥協案がだされ解決された。その内容は
異邦人改宗者は「しめ殺した動物、血、偶像礼拝、不品行」の行為を避ければ、割礼やその他の戒律は守らなくても良い。
やがて、第一次ユダヤ戦争が起こり、エルサレム神殿が崩壊した後、ユダヤ教の一派と見なされていたキリスト教は
明確にユダヤ教と分離されたのです。
戦争後、パレスチナの地に住むユダヤ人がキリスト教から離れた為、パレスチナからキリスト教が消えたのであるが、
国外で暮らすユダヤ人たちにより、キリスト教は受け継がれ、ローマ帝国内に広がっていったのです。
ところが、ローマ帝国は多神教国家である為にキリスト教信者は迫害を受ける。特にひどかった皇帝ネロの時代
であったが、キリスト教の広がりを納める事は出来ず、313年にコンスタンティン大帝によってミラノ勅令が出され、
すべての宗教が公認され、更に380年、テオドシス帝によりキリスト教はローマ帝国の国教となり、他の宗教は禁止された。
395年に、テオドシス帝が死ぬとローマ帝国は西ローマと東ローマ(ビザンチン帝国)に分裂し、地中海沿岸から
エジプトまでをビザンチン帝国が支配し、中央アジアからメソポタミアに至るまでを
ササン朝ペルシアが支配していたのです。
そして、アラビア半島世界はビザンチン帝国とササン朝ペルシア帝国のはざ間にあっって、
多数の部族集団によって統治されていたのです。やがて、海のシルクロードと言われるメッカの町で、イスラム教の
開祖モハメットが生まれた。
イスラム教はモハメットが四十歳になったある日、メッカ郊外の洞窟の中で昼寝している時、
ガブリエルという天使が現れ、神の新しい預言に従い、
新しい宗教を起こす様に命じられた事から生まれた宗教です。
最初はアラブも多神教である為、彼の一神教の教義は受け入れて貰えなかったが、
メディナの町に住んでいたユダヤ人には
ユダヤ教と共通点があるこの宗教集団を暖かく迎え入れられたが、改宗はしなかった。
やがて、イスラム教はメディナの地で大きくなり、メディナの地からユダヤ人を追放して、メッカを占領する。そして、
イスラム帝国を築くようになった。この要因はイスラム教=アラブ人で、イスラム教の発展はアラブ人の発展と
考えられていたからではないでしょうか」
ここからは安 楽 行 品(あんらくぎょうほん)です。
前回の勧持品では、外部からの迫害に対して、忍耐する事が説かれましたが、安楽行品では内心から来る誘惑に対して
の対処の仕方として、四安楽行が説かれている。
まず、最初に基本的な心構えとして身安楽行が説かれている。身安楽行は菩薩の振る舞いを記した行處と対人関係や
実相の見方を記した親近處から成っている。
------続く
その時に、
仏の弟子である文殊師利菩薩・摩訶薩は、仏にはっきりと申し上げました。
”世尊、ここに居る多くの菩薩は、非常に尊い者たちです。その者たちは仏を敬い従いながら、
終に大誓願を起こすまでに成ったのです。”
”仏が去られた後の悪世でも、この法華経を大切に守り続ける為、この経を声に出して心に刻みながら、
人にこの経を説くでしょう。”
”世尊よ。菩薩摩訶薩たちは仏が去られた後の悪世において、どうすれば良く、
この法華経を説く事が出来るのでしょうか。”
仏は文殊師利に次の様に告げられた。
”もし、菩薩摩訶薩が後の悪世において、この仏の言葉を教えたいと望むなら、
必ず、四法を守る事です。
一には、
菩薩がやるべき事の行処(ぎょうしょ)と用心すべき事の親近処(しんごんしょ)を、
常に忘れずにこれを守り続け、そして、衆生の為に、この仏の言葉を述べて、意味を説きなさい。
文殊師利よ。どのような事が菩薩摩訶薩の行処であるのかと言うと。
もし、菩薩・摩訶薩がどの様な境遇においても、怒りや驕りが無い忍辱
の心を持ち、常に我を張らずに道理に従いながらも、決して粗暴な態度を取ら無い事。
また、どんなことが起こっても、慌てふためか無い事。
更に、現象にとらわれて行動するのではなく、すべての現象が生じる真実の姿(特徴)をよく見透し、
現象が生じる訳を考えずに行動することがない事である。これを菩薩摩訶薩の行処と言う。
次に、どのような事を菩薩摩詞薩の親近処と言うと。
菩薩・摩訶薩は国王や王子や大臣や官長に親しく近づいてはならない。
また、梵志(ぼんし;バラモン教の信者)や
尼ノ子(にけんし;ジャイナ教徒)などの様な
諸の外道に親しく近づいてはならない。
世間に有る様な詰まらない書物を書く者や、神を賛美するだけの教典を書く者や、人の言いなりに成る者や、
人に逆らは無ければ気が済まない者に親しく近づいてはならない。
また、この世に数多く存在する。ありとあらゆる人の命を張って、楽しむ危険な遊びである拳闘や相撲や、
那羅(なら)等が色々と姿を変える様な見世物(マジック)に親しく近づいてはならない。
また、カースト外の最下級の階層や、猪・羊・鶏・犬などを飼う者達や狩猟や漁をする者など、
諸々の悪へ導く行いをなす者に親しく近づいてはならない。
この様な人々が或る時に近づいて来たならば、彼らの為に教えを説いても、何かを期待してはならない。
又、教えを聞くだけで悟りを求めようとする出家男子、出家女子、在家信士、在家信女に親しく近づいてはならない。
また、問答しては成らない。
あるいは部屋の中においても、考えをまとめる為に散歩する所においても、あるいは講堂の中においても、
その様な者と一緒にいてはならない。更に、ある時、突然にやって来て、その者に応じて法を説いたとしても、
何かを求めてはいけない。
文殊師利よ、あるいは菩薩・摩訶薩よ。
女人がその身をもって欲情を誘う様な姿をしたからと言って、
法を説いてはいけない。また、その姿を見たいと願ってはいけない。
もし、他の家に入るなら、少女・未婚の女・配偶者のない女たちと二人きりで、語ってはならない。
また、男であって男の本性を欠いている者(おかま)に近ずいて、親密な関係をもってはならない。
自分ひとりで、他人の家に入ってはいけない。もし、分け有って、一人で、他人の家に入らなければならない時は
、ひたすら一心に仏を念じなさい。
もし、女人の為に法を説かなければ成らない時は、歯を見せながら笑ってはいけない。胸をはだけてはいけない。
教えの為と言って親密な交際を求めてはいけない。増してや、それ以上の事をやってはいけない。
願って、年少の弟子や沙弥(しゃみ;見習い僧)や小児を養ってはいけない。また、同じ様に恩人を養ってはいけない。
常に坐禅を好み、静かな所に身を置きながら、精神統一をして心を整えよ。
文殊師利よ、これが最初の親近処(慎むべきこと)と名ずける。
また、次に菩薩・摩訶薩よ。
すべての現象(法)を心静かに瞑想して悟り得たものは空であり、それがすべての現象の真の姿である。
そして、それはひっくり返す事も、動かす事も、退ける事も、転ばす事も、出来ない
空間(虚空)の様なもので有り、何かを所有すると言う性質(実体)が無いのである。
例え、あらゆる言葉をもってさえ、言い表す事が出来ない。それは生まれ物でも、現れる物でも、
起るべくして起きる物でもなく、また名も、形も無い。
確かに、何かを持ち続ける事(実体)が出来ないのである。
思い付かない数(無量)であり、知り尽くす事が出来ないほど果てし無く(無辺)、誰にも妨げられず(無礙)、
何者をも害する(無障)事が無い。
ただ、因縁(訳)あって現象(法)は起きているのであるが、煩悩により誤った考えを起こして、
実体があると思い込んでしまう。
ゆえに、この事を説くのである。
常に願って、この様な人々の暮らし(法相)を観察するのである。
これを菩薩・摩訶薩の第二の親近処(用心すべき事)と名付ける。
その時に
世尊は再び、この意味を伝えようと望んで、偈(歌)を説いて言ったのである。
”もし、菩薩がいて、仏が去った後の悪世において、心に恐れを抱かずに、この仏の言葉を伝えて、
教え様と望むならば、菩薩の行処及び親近処に必ず入らなければならない。
常に国王及び王子、大臣、官長、賭博などの遊びをする者、屠殺(とさつ)などを業をする旃陀羅(せんだら)、
外道の教祖、バラモン教の学者などの人達を遠ざけ。
また、増上慢の人や小乗に貪著する三蔵の学者に親しんで近ずいてはならない。
戒律を守れない比丘(坊主)や、
名ばかりの阿羅漢(あらかん)及び噂話をしては笑う事を好む比丘尼、深く五欲に執着しながら、
現在の煩悩の身を滅し、悟りの世界を求めようとする多くの信女(優婆夷)などに、親しんで近ずいてはならない。
この様な人々が好意をもって、菩薩の所訪れて仏道を聞きたいと望んだなら、
菩薩は心配する事無く、また何かを期待せずに法を説くのです。
一人暮らしをしている女性(寡女)や家に居る未婚の女性(処女)及び同性愛者(不男)に親しんで近ずき、
親密な交際をしては成らない。
また、牛を屠殺(とさつ)する者やそれを料理する者(屠兒魁膾)、動物を捕えたり、
魚の漁をする者(畋猟漁捕)など、自分の利益の為に平気で殺害する者に親しんで近ずいてはならない。
また、自活する為に体を売ろうとして、街角で女の色気を振りまく者などの様な人に親しんで近ずいてはいけない。
更に、危険な格闘技や様々な遊び事や色々な婬女(愛を求め性欲に執着する女)に、悉く、親しんで近ずいてはいけない。
決して、女性と二人りきりで人の目の届かない所において、女の為に教えを説く事をしてはいけない。
もし、人に教えを説かなければならない時には、人から笑われてはいけない。また、人里に入って、人から食べ物を
もらう時は(乞食)一人、比丘を引き連れよ。もし、比丘が居なければ、一心に仏の事を思い出すのである。
これらを名づけて、行処(ぎょうしょ;禁止項目の事)・近処(きんしょ;努力項目の事)とする。この二つの判断基準(二処)を以って
良く、気楽に法を説くのである。